《葛饰北斋传》饭岛虚心著⑳ 鸟羽绘,幽默画的一种
文摘
文化
2024-08-04 11:18
日本
灰色字是作者饭岛虚心加的注,他用比正文小的字体夹在正文里,以补充资料。红色是我的补注。
北斋在绘画一途凡可为者皆不辞为,且事事没有不精进者。凡如剪折灯笼、鸟羽绘(用轻快奇特的简笔描绘的幽默画)种种,北斋均出手非凡,或倒画、或横画、或手指画、或用鸡蛋,或瓶、酒盅一类的容器代笔,曲面运用神妙,无所不能。按:鸟羽绘是特殊形式的绘画。它的发祥不详,大致推算始于元禄宝永年间。因此无法知道起初绘制该类画作的人数。宝永七年版《宽润平家物语》有记载:“最近流行把一种称作鸟羽绘的东西装饰在扇子、服纱茶道擦拭用具上,外貌体型手足形状不尽人样,倒是像极妖怪。”《戏游笑览》说鸟羽画从法眼春ト(大冈春卜,江户中期大坂的画家)开始,这是错误的。春ト所著享保五年(1720)版《画品笔锋补遗》“鸟羽绘”词条这样写道:“近来将它命名‘鸟羽绘’,属幽默画一类。是否过去某个或某些僧正(僧正,又称僧主,是汉传佛教地区为了管理僧尼,任命僧侣的官职(僧纲)之一)所创?”由此可知不是春卜所发明。《古画备考》中写道:佐野金藏、京住,近年流行的鸟羽绘最早由他们开始。”又有《浮世绘类考》別本、齐藤月岑氏的批语,“鸟羽绘是否始于皇都山人全瑕的笔意?”但都不详。这两个人大概都是宝永以后年代的人。此鸟羽绘宝永以来在世间大流行,刊发了《鸟羽绘车》、《鸟羽绘三国志》、《扇子箭靶》《鸟羽绘あくび留》等绘本。丰广、歌川。北斋等画师也有不少作品,自然而然成了浮世绘师作品的一个分类。近代画师河锅晓斋(幕府、明治时期的浮世绘师)有很多狂画作品,这些也归入鸟羽绘一类。如楢崎氏所说,“北斋翁曾画猪口绘(素烧猪口内壁画上图案,涂上釉药入窑烧制而得),我想要那样的茶杯很久了,然而至今一个未得。”
北斎画道に於きてなさゞることなく、又巧妙ならざることなし。切組灯籠の画の如き、鳥羽絵のごときに至るまで、皆非凡にして、或は逆に画き、横に画き、或は指頭にて画き、或は鶏卵、升、磁壜の類を筆に代へて画き、曲面の妙技、至らざるなし。按ずるに、鳥羽絵は、異形の画なり。其の始詳ならず。蓋し元禄宝永の頃が始なるべし。されど其の画き始しは、何人なるを知らず。宝永七年板、『寛潤平家物語』に、「近き頃鳥羽絵といふ物、扇、服紗にはやり出でぬるを見れば、貌形手足、人間にあらず、化物尽しに似たり云々。」『戯遊笑覧』に、法眼春トが、画きだしたる由いへど、誤なり。春トが著はせし享保五年板、『画品筆鋒補遺』の鳥羽絵の条に「近頃より鳥羽絵と名づけ、狂画を専にするあり。古の僧正によるものか」とあれば、春トにあらざること知るべし。『古画備考」に、「佐野金蔵、京住、近年流行の鳥羽絵、此ものかき始むる所なり」といひ、又『浮世絵類考』別本、斎藤月岑氏書入に、『鳥羽絵は、皇都山人全瑕の筆意に始まるか』」といふ、共に詳ならず。此の二人は、蓋し宝永以後の人なるべし。さてこの鳥羽絵は、宝永以来大に世に行はれて、『鳥羽絵車』、『鳥羽絵三国志』、『扇の的』、『あくひ留』、などの絵本を刊行せり。豊広、歌川。北斎なども多く画きて、自浮世絵師の一業となる。近世の河鍋暁斎が狂画は、これまた鳥羽絵の類なり。楢崎氏日く、「北斎翁嘗猪口絵を画きしことあり。余其の猪口を得んとすること久し。されど未だ嘗一箇を得ず」と。撰文、翻译 / 江洁