《葛饰北斋传》饭岛虚心著⑲ 北斋亦擅微画

文摘   文化   2024-07-28 09:20   日本  

灰色字是作者饭岛虚心加注,他用比正文小的字体夹在正文里,以补充资料。红色是我的补注。

中译
北斋不止巨幅画技巧高超,微画也非常精妙。北斋在前文提及的回向院画布袋和尚大画时,还在一粒米上画了两只麻雀,众人都说肉眼看不清。
北斋的缩景图(鸟瞰图)也很精妙。此时锹形蕙斋(浮世绘师,活跃在黄表纸、绘本、地志类插画等领域,还制作锦绘)的画很受欢迎。蕙斋原是京师(京都)人,黄华山(横山华山)模仿蕙斋《花洛一览图》画出《江户一览图》,惊艳了世人。《江户一览图》让人在一纸之上观赏江户八百八町,这个可能性让人惊叹。北斋听说这事后暗笑,把武藏、相摸、伊豆、安房、上总、下总一带覆盖今日静冈县、神奈川县、东京都、千叶县一带缩微于纸上,命名《房总一览图》,交付出版刊发。这幅画的精巧又在蕙斋之上,令世人惊诧刮目。

按:锹形蕙斋,俗名三次郎,最初号杉皐,江戸人。最早入北尾重政门下学习浮世绘,画号北尾政美。后学习狩野家画法,又因仰慕光琳风笔意,画法大変,供职松平三河侯属下,落发,僧号绍真。画号政美时多画一枚画草双纸,没有多少人气。著书《略画式》付印后,一时声名高涨。曾画剪折灯笼。剪折灯笼本是小孩子玩具,锦绘图片按照说明剪开,用浆糊粘贴做成纸灯笼,里面点上灯,是夏夜的景物之一。原本是京坂人的发明,经蕙斋改进,用于装饰吉原堂戏、葛西太郎料理店名园子等处的灯笼。观赏过的人都啧啧称奇。另有京都人黄华山华山姓横山,名一章字舜朗,京都人,岸驹门人,死于天保八年(1837)。仿《花洛一览图》精心绘制《江戸一览图》,付印出版;又将这幅一览图裱装后供献给神田神社。文政七年(1824)三月廿一日死。有子名赤子,继承了父亲的才能,善画。
蕙斋所绘绘本类出版物中著名的有:《略画式》、《略画苑》、《草花略画式》、《蕙斋略画》、《诸职画鉴》、《蕙斋粗画》、《絵本咲分勇者》、《同大江山》、《同曾我物語》、《同武隈松》等。还有《职人尽》画卷三巻。今我博物馆收藏。曾受命松平越中侯为六樹園、京伝、杏花園三人的词书插绘,意匠笔力皆非凡。还有专门家评议:绝非寻常画工。意匠高尚之处,不及北斋。


原文
北斎大図に巧なるのみならず、又細小の図を画くに妙なり。かの回向院にて、布袋の大図を画きし時、跡にて米一粒へ雀二羽を画く。人みな肉眼をもてこれを見るに苦しむ。又縮図に巧なり。此の頃くわ蕙斎けいさいの画、大いに行はる。蕙斎けいさいは嘗京師の人、黄華山が「花洛一覧図」に倣ひ、「江戸一覧図」を画き、世人を驚かす。これ江戸八百八町を一紙の中に縮めたるを賞するなり。北斎窃にこれを笑ひ、武蔵むさし相摸さがみ、伊豆、安房あわ上総かずさ下総しもふさを一紙に縮図して「ぼうそう一覧図」と名づけ、刊行せり。世人又其の巧妙、蕙斎の上に出づるに驚く。
按ずるに、鍬形蕙斎は、俗称三次郎、一に杉皐と号す。江戸の人なり。初め北尾重政の門に入り、浮世絵を学び、北尾政美といふ。後に狩野家の画法を学び、又光琳風の筆意を(した)ひ、画法を一変し、松平三河侯に仕へ、落髪して紹真といふ。政美といひし頃は、一枚画草双紙など多く画きしが、行はれず。『略画式』を著はしてより、其の名一時に高し。(かつて)切組灯籠錦絵を切り取って組み立てられるように描いたもの。人物、家屋、景色などを板の上に組み立て、装飾的に用いる。を画く。切組灯籠は、小児の玩物にして、景色画など切り抜き、粘にて貼りつけ、灯を点じて、夏夜の景物となす。京坂の人の発明なるを、蕙斎更に工夫して、吉原俄江戸吉原の遊郭で行われた即興芝居。の図、葛西太郎東京都墨田区向島にあった料理茶屋、中田屋の別称。鯉こく、どじょう汁などの川魚料理で知られ、江戸後半期には文人が多く訪れた。庭中の場、などの灯籠を製す。人皆これを奇とす。又京師の人黄華山が、華山は、横山氏、名は、一章、字は、舜朗、京師の人、岸駒門人、天保八年死。『花洛一覧図』に倣ひ、『江戸一覧図』を工夫し、梓に上せ、又此の一覧図を額に画き、神田神社に奉納せり。文政七年三月廿一日死。男を赤子といふ。父に継ぎ善く画く。蕙斎が画きし絵本類の著名なるは、『略画式』、『略画苑』、『草花略画式』、『蕙斎略画』、『诸職画鑑』、『蕙斎麁画』、『絵本咲分勇者』、『同大江山』、『同曾我物語』、『同武隈(たけくまの)(まつ)』等なり。又『職人尽』の絵巻物三巻あり。今我博物館所蔵。松平越中侯が嘗命じて画かしめたるものにして、六樹園石川雅望、京伝山東京伝、杏花園大田南畝三人の詞書あり、意匠筆力共に非凡なり。或専門家これを評して曰く、尋常の画工にあらず。意匠の高尚なる、蓋し北斎の及ぶ所にあらずと。

撰文、翻译 / 江洁

京夜围炉
公众号“京夜聊”姐妹账号,几位长年定居海外的作者絮叨海外生活。
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