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宽政十一年(1799年)宗理的画风一变,画号宗理让与门人宗二,自号北斋辰政,号的由来是此时北斋开始信仰妙见菩萨。妙见菩萨,乃北斗星,也即北辰星,寺庙在本所柳岛。某次北斋去柳岛妙见拜菩萨,正遇上天上落巨雷,北斋掉入堤下田圃。这个时候开始在画号上标记遇雷一事,取画号雷斗,又称雷震。一说信雷。按:画号辰斋、戴斗也应该是这个时候开始使用。露木氏的说法是,北斋的画号都是与龟田鹏斋商量后取名。据《类考》,式亭三马说过:“前略那之后俵屋宗理继承了画号,成为第二代宗理。按:第二代这个说法不正确。后来因为某种缘故这个名号还给家元这一画系的当主,改名北斋辰政;北斋辰政名号让给门人,自己改称雷信;雷信又让与门人,自己改用戴斗;之后戴斗也让与门人,当时自己改称为一。”一说北斋翁每每把画号让与人,通常换得若干报酬,所以贫困不堪时立马出让名号。门人私底下很反感师父这种行为。又按:宗二应该是俗名,姓氏、原来的画号不详。一说宗二后改名,称桥本氏。如果是三马的说法“因为某种缘故把画号交还家元”,应该在俵屋宗理之后。
妙见菩萨:佛教天部诸神之一,北极星或北斗七星的神格化。
龟田鹏斋:儒学者,属折衷派井上金峨门。
同十一年宗理画風を一変し、其の名を門人宗二に譲り、北斎辰政と号す。妙見を信仰するをもて名づく。妙見は、北斗星、即北辰星なり。其の祠、今本所柳島にあり。又嘗て柳島妙見に賽せし途中、大雷のおつるに遇ひて、堤下の田圃に陥りたり。其の頃より名を著はしたりとて、雷斗と名づけ、又雷震といふ。一に信雷。按ずるに、辰斎、戴斗の名も、此の頃より称せしなるべし。露木氏の説に、北斎の名は、亀田鵬斎と謀りて名づけたるなりと。『類考』に、式亭三馬云く、「前略其後俵屋宗理が跡を続きて、二代宗理となる。按ずるに、二代といへるは、非なり。後に故ありて名を家元にかへし、北斎辰政と改む。其名を門人に譲り与へて、雷信と改む。再び門人に与へて、戴斗と改む。是をも門人に与へて、当時は為一と改む云々」。一説に、北斎翁名を門人に譲りて、若干の報酬金を得るを常とす。故に貧困極まれば、即名を譲る。門人窃にこれを厭ひしとぞ。又按ずるに、宗二は、俗名なるべし。姓氏およびもとの画名詳ならず。一説に宗二後に庄兵衛と改名し橋本氏を称す。三馬が説に、故ありて名を家元にかへしとあれば、俵屋宗理の後なるべし。
撰文、翻译 / 江洁