灰色字是作者饭岛虚心加的注,他用比正文小的字体夹在正文里,以补充资料。红色是我的补注。
按:时太郎是儿时名字(幼名)。可候,当时有通用语“候可候”(ソロベクソロ),世间一切,包括奇奇怪怪、不可言状,都一本正经地写作“可候”像我们的之乎者也,哪里都可以贴上去,无所谓要表达什么,也无所谓被人如何理解。原本是书简文的文字。溪斋英泉(江户后期浮世绘师)的戏作名也是“可候”。
拜帖
茑屋重三郎先生
奉上拙作,百忙中请抽出宝贵时间过目,看看有否出版价值。初次问候,不妥当的地方请曲亭马琴老师指正。今年能得先生肯定的回复,来年一定打起精神加倍努力。敬请批阅。
十月十日
按:“初次问候”云云,北斋写戏作这个作品不是第一次,用“是和斋”画号时就有戏作发表。想来接受茑屋约稿出版戏作这是第一次,由此言辞间表达自谦的之意。
说 明
重先生
今年也有约写青本(草双纸)新作,您知道我做事有些顾前不顾后,假如要求我事事有条不紊然又快快把事情做好,文章进展先于插画,主题先于细节成型,估计结果是罗列一些杂乱的东西。由此想同先生商量,以出版为准交稿期限可以宽限些时日否?明早奉上申请书,诚请延长交稿期限。
时太郎拜上
曲亭马琴:江户时代著名小说家。旧文《日本的“孝”:鏑木清方<曲亭马琴>》提到这位江户时代畅销作家,今重发于此文后。
按ずるに、時太郎は、幼名を用ゐたるなり。可候は、当時ソロベクソロといふ通言ありて、すべて、おかしきことも、まじめにベクソロとかきながすといふ意にて、もと書簡文の文字なり。渓斎芙泉も戯作名を可候といふ。
すべて北斎の戯作は、工夫新規にして、一々人の意表に出で〉味あり。かの有名なる『竈将軍勘略の巻』は、同十二年の出板にして、大に世に行はれたり。其の書の大意はだ々ら大尽(だだらだいじん)、ひろむね広宗が、奢侈に長ぜしを、台所奉行こづかい丁太ひと〉し小遣丁太人利といふ者、窃に此の趣をかけとり城掛取り本意是赊欠,这里是“追债专业户”的意思へ注進しければ、城主どなべかゆのかみ掛け取り城主 小鍋粥の守上澄、これを聞き、軍勢を催し、相戦ひけるが、ひろむねの城、終におちて散々に遁げ失せける。後にしわんぽうと、みへぽう見え坊・しわん坊(けちん坊)・辛抱の三つを合わせて“三ぼう”の中へ、山のかみのしんぽうを加へたる、三ぽうくはう神、出現して、双方をなだめ給ふといふ工夫にして、即一家の主人奢侈に耽れば、忽借金に攻められ、終に家を失ふ。もし心を一転してしんぼうをなさば、又もとのごとく安楽に世を過ぐることを得べしと、抱腹絶倒すべき戯作の中に、家事経済の大要を説く。其の手段頗奇といふべし。結末に己が肖像を画きて、左の文を載す。
舌代口で言う代わりに文書に書いたもの
不調法なる戯作仕差上げ申候にて、御間に合候はゞ、何卒御覧の上、御出板可レ被レ下(小文字的レ用于倒置它前后汉字)候。初而之儀に御座候得ば、あしき所は、曲亭馬琴先生へ御直し被レ下候様、此段よろしく奉レ願候。又々当年評判すこしもよろしく御座候へば、来春より出精仕、御覧に入れ可申候。右申上度、早々不具。
十月十日
蔦屋重三郎様
按ずるに、「初而之儀云々」、戯作をなすは、初てにあらず。現に是和斎といへる頃の戯作あり。蓋し蔦屋の注文にて出板するは、初めてなれば、謙遜してかくいへるなるべし。
又享和元年出板の『児童文珠稚教訓』は、気の長き人、短き人、高慢の人、各其の癖のある所を画作し、さて己は机にかゝりて、一睡せるが、さめて見れば、かの癖ある人々は、年を積み、月を重ね、経験練磨して、平常普通の人間となりたるを示し、かの荘周が一夢をかり来りて、浮世の夢を説き、滑稽の中に、勧善の大要をかゝぐ。其の工夫最奇といふべし。又同三年出板の『不厨庖即席料理』は、其の大意は、深く飲食の欲をいましめて、家事経済の要を示せるものなり。巻首に、左の手簡を載す。
口上口头传递→内容说明
当年も不二相替一青本新作之儀被レ仰候処、御存知之不調法、何事も埒明兼候上、御急ぎ被レ成候問、画より先きへした〉め候て、跡より趣向をつけ候へば、嘸々訳もなき事のみ書ちらし候半。是にて御間に合候は、候はゞ、御出板可レ被レ下候。猶延引之申訳書、明朝参上花顔に可ニ申上一候以上。
重様 時太郎拝
御使
按ずるに、草双紙はもと青色の表紙なりし故に、青本といへるなり。後に黄色なる表紙になりても、猶呼びて青本といふ。
撰文、翻译 / 江洁