【学术资讯】『東亜芸術』复刻出版

文摘   历史   2024-09-30 07:02   日本  

编者按

明治以来日本的艺术同样以西方为导向。1914年4月,在第一次世界大战爆发前夕,痛感到西欧艺术这一霸权的存在,以仓林蛮山为主笔的『東亜芸術』诞生了。该杂志反对忽视以东方传统为基础的各种艺术,旨在通过邀请书法、绘画、建筑、文学、宗教和历史领域的领军人物来促进东亚艺术的发展,以期成为“现代唯一之东洋艺术杂志”。可惜杂志过于短命,到同年10月,仅仅发行七期就画上了休止符。不过这七期杂志内容丰富,不仅展现了1914年这个特殊年份的艺术潮流,也展现了思想潮流,这在专业壁垒森严的今天尤为有意义。琥珀书房于2024年9月将该套杂志复刻出版。现经琥珀书房授权「谓无名」刊发复刻版相关信息,以飨国内读者。



复刻版概要
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概要及主要执笔者

概要

発行の時間:1914年4月~1914年10月

体裁:A5(原誌菊判)、並製、全七冊+別冊

価格:三九〇〇〇円+税

発行:東亜芸術社

原誌: 神戸大学附属図書館・個人蔵


主要执笔者

荒木十畝・伊東忠太・巖谷小波・尾上柴舟・大村西崖・茅原華山・加藤咄堂・河野桐谷・日下部鳴鶴・黒板勝美・黒田鵬心・幸田露伴・後藤朝太郎・笹川臨風・杉原夷山・関野貞・高安月郊・瀧村斐男・竹内久一・富本憲吉・中條精一郎・内藤鳴雪・中川忠順・中村不折・鰭崎英朋・前田黙鳳・望月金鳳・山路愛山

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 解说

战晓梅,国际日本文化研究中心(国際日本文化研究センター)教授,主要研究近代中日美术交涉史。著有『鉄斎の陽明学』( 勉誠出版,  2004),共同编著有『近代中国美術の辺界——越境する作品、交錯する藝術家』(勉誠出版, 2022)『近代中国美術の胎動』(勉誠出版,2013)等。
                                                   






















《东亚艺术》创刊的意义

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明治欧化政策之后的转换期,铭刻于大正初期的东洋艺术的摸索和抵抗


尤目睹今日东亚艺术于西欧艺术威压之下气息奄奄之现状,余岂能不扼腕长叹。吾辈兹有慨之,相谋与同志以复兴东亚艺术之宏愿为鹄的,断然发此创刊之举。江湖博雅诸君,倘与吾辈心有戚戚焉,祈勿对吾辈此举袖手旁观。”(《东亚艺术》创刊号前言选段)


在此段发刊词中,明治时期美术界偏重西欧的问题得到了重新审视。此时“东京大正博览会”正在首都如火如荼地举行,而近代以来那些立足于东洋传统的各种艺术却愈发遭到冷落和忽视。在此背景下,这本勇于对此现状说“不”的杂志诞生了。


该杂志旨在打造“现代唯一的东洋文艺美术杂志”,它以繁荣东亚艺术为目标,汇集了书法、绘画、建筑、文艺、宗教、历史等各界一流人士。虽则昙花一现,却不失为明治之后转换期中独一无二的存在。


【日文原文】

明治の欧化政策からの転換期、大正初期に刻まれた東洋芸術の模索と抵抗


「特に今日東亞の藝術が西歐藝術の威風の下に氣息奄々たるの實況を見るに及んで豈に長嘆大息せざるを得んや。吾徒茲に慨する所あり、同志胥謀り東亞藝術の恢興を以て目的と爲し、本誌發刊の舉を敢てするに至れり。江湖博雅の君子、若し吾徒と感を同ふせば冀くは、吾徒の斯舉を河漢視する勿れ。」(『東亜芸術』創刊号冒頭より抜粋)

明治期の西欧偏重の美術界の在り方が問い直され、首都では東京大正博覧会が盛況をあげるなか、近代以降の東洋の伝統に立脚した様々な芸術がなおざりにされていく現状に異を唱えた雑誌がうまれる。

「現代唯一之東洋文藝美術雑誌」と銘打たれ、書・画・建築・文藝・宗教・歴史と各界一級の人士を招き東亜の芸術の隆盛を目指した短命なる本誌は、転換期の唯一無二の営みを伝える。


何以复刻?——推荐文之一
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由仓林蛮山主编的《东亚艺术》杂志近日将复刻出版。正因为该杂志几乎从未被回顾过,如今昔日艺苑的这股“新风”吹到了相隔一百一十年后的今天,为此,我表示由衷的喜悦。


明治44年(1911年),蛮山与兄长仓林一圃同在书法奖励协会创办的杂志《笔之友》孜孜钻研书法。蛮山迅速超越了兄长并崭露头角。明治45年(1912年)3月,蛮山晋升至《笔之友》编辑部长之位。然而他并不满足于书法一门学科,而是以打造“现代唯一之东洋文艺美术杂志”(《东亚艺术》第二号目录栏)为己任,创办了一本综合性的东洋艺术文化杂志。蛮山断然做出如此令人惊叹之举,其契机究竟是什么呢?


我们可以从《笔之友》和《东亚艺术》一部分文章作者的重合得到一点启示。我并不是说专业书法家占了《东亚艺术》文章作者的多数,而是原本《笔之友》的文章作者中就不只有专业的书法家。从明治末年蛮山开始参与《笔之友》编辑时起,在《笔之友》上就能看到黑板胜美讲授的古文书、尾上柴舟评选的和歌,以及杉原夷山撰写的近世汉学家的评传等,还时时可见洋画家中村不折讨论书法、书法家前田默凤的插画点缀其间。这种倾向在本质上等同于在法书会《书苑》杂志中出现建筑史家关野贞和“支那通”后藤朝太郎的撰稿。也就是说,专业的书法杂志反而在降低专业门槛,以谋求与相邻诸艺术文化领域的交汇融通为基盘。


视角从专业性转向综合性——如上所述,这有可能源于书法的本性,也有可能与蛮山修行临济禅宗有关。即便如此,在《东亚艺术》上也有很多在书法专业杂志中看不到的声名显赫的文豪、论客的文章引人瞩目。这要归功于蛮山不负众望的活动能力吧。他试图整合相邻诸领域的努力,在重新审视专业领域细分化的动向初见端倪的今天,仍能引起共鸣。这就是我推荐该杂志的理由。
菅野智明(筑波大学)
【日文原文】

この度、倉林蠻山を主筆とする『東亜芸術』が復刻されることになった。同誌は従来ほとんど回顧されてこなかっただけに、百十年の時を隔てて、往時の芸苑の「新風」が今に吹き込まれることを慶びたい。明治四四年、兄の倉林一圃とともに書道奨励協会『筆之友』で書の研鑽に励んでいた蠻山は、兄を凌いで急速に頭角を現し、四五年三月には同誌の編輯部長を担うまでに至った。その蠻山が書の一門に安住することなく、「現代唯一之東洋文芸美術雑誌」(『東亜芸術』第二号以降の目次欄)という総合的な東洋芸術・文化誌を創刊させたのである。蠻山をして、この瞠目すべき壮挙を敢行せしめた契機とは、いったい何だったのだろう。


一つの示唆が、『筆之友』と『東亜芸術』との執筆陣の重複に見出される。それは、書の専従者が『東亜芸術』で多勢を占めたということではない。そもそも『筆之友』の執筆陣は、専業の書家ばかりではなかった。蠻山が関わり始めた明治末年の同誌では、黒板勝美が古文書を講じ、尾上柴舟が和歌の撰者を担い、杉原夷山が近世漢学者の評伝を執筆していた。洋画家の中村不折が書を論ずるのに対し、前田黙鳳の挿画が時に同誌を飾りもした。この傾向は、法書会の『書苑』において、建築史家の関野貞や「支那通」の後藤朝太郎が寄稿するのと同根である。書の専門誌は、却って専門の垣根を低くし、隣接する諸芸・諸文化との横断・融通を基盤とするのだった。


専門から総合への視点の移動―それは上記のように、書の本来性に根差すところもあれば、蠻山が臨済禅の修行を積んだ釈家であったことに因む面もあるかもしれない。ともあれ『東亜芸術』では、流石に書の専門誌には窺えない名立たる文豪や論客の寄稿が目につく。蠻山の面目躍如といったところか。蠻山が挑んだ隣接諸領域を統べる企ては、細分化された専門を見直す動きが生じつつある今日にあっても響くものがある。本誌を推薦する所以である。


菅野智明(筑波大学) 


何以复刻?——推荐文之二

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顾名思义,《东亚艺术》杂志是基于对“西欧艺术”的强烈意识而发行的。它创刊于第一次世界大战爆发前夕,刊行期间大战正酣。这是一份在文学研究领域并不知名的期刊,但它能让我们窥见这一时期美术界乃至思想界的风潮,翻阅一下,就会有种种发现。杂志给人的印象是书画和美术相关的报道居多,而作为文学家积极参与的人物则有严谷小波和幸田露伴二人。

首先,岩谷小波发表有“言文一致论”(分别为创刊号中的《予在小说中的言文一致》,第1卷第2期中的《予在民间故事中的言文一致》,以及第4期以后的《言文一致论》)的文章。《言文一致论》这篇论文谈论的是面向儿童实践言文一致写作的辛苦经历,以及根据他旅行欧美的经验,对日本的“言文一致”所进行的考察,成为考察当时言文一致思想的重要文章。而论文以这样一句话来收尾:“若进一步发展为着洋装、吃西餐的社会,那么再进一步使用罗马字也未尝不可。”在汉诗和书法内容居多的这份杂志中刊登这样的文章,也是饶有兴趣的。

(中略)

《东亚艺术》就是这样既有新发现又珍贵的杂志。为了解1914年的文化面貌,也希望读者一定入手一阅。


西川贵子(同志社大学)

【日文原文】

『東亜芸術』という雑誌はその名の通り、「西欧の芸術」を強く意識して刊行された雑誌だ。創刊は第一次世界大戦勃発直前であり、刊行中は大戦まっただ中。文学研究の領域ではあまり馴染みのない雑誌だが、この時期の美術界のみならず思想界の風潮が見てとれ、繙いてみると色々なことに気づかされる。書画や美術関連の記事が多い印象を受ける雑誌だが、文学者として『東亜芸術』に積極的に関わった人物に、巖谷小波と幸田露伴の二人がいる。

まず巌谷小波は「言文一致論」(創刊号では「予が小説に於ける言文一致」、一巻二号では「予がお伽噺の言文一致」という題で、四号以降、「言文一致論」となる)という文章を寄稿している。この論文では、子ども向けの作品を言文一致で書く際の苦労譚や、ヨーロッパ・アメリカを旅した経験をもとに、日本における「言文一致」について考察されており、当時の言文一致に関する考え方を見る上で重要な文章となっている。また本論の末尾は、「更に進んで洋服を着たり洋食を食ふ世の中であるならば、もう一層進んで羅馬字を用ひても宜からうと思ふ。」と結ばれており、漢詩や書をことのほか多く掲載している本誌にこの文章が載せられている点も興味深い。

(中略)

このように、新たな発見もあり貴重な『東亜芸術』という雑誌。一九一四年の文化の様相を知る上でも、ぜひ手にとって見てほしい。

西川貴子(同志社大学)



出版社(琥珀書房)寄语
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本次复刻的是罕见的大正初期的文化资料。


这份杂志甚至连国会图书馆都没有收藏,可以说是目前尚未被研究关注的一份杂志。(在大宅壮一文库的杂志创刊号介绍中,有过只言片语的介绍,可能是目前唯一的介绍文字。)

不过,本志汇聚了各界一级人物,再加上第一次世界大战前后有趣的时代背景,从初次见到它时,我就希望研究者们一定要对它进行解读。当笔者询问书法史专业人士时,发现他们似乎对该杂志并不知悉,但仅仅是目录和内容就引起了很多人的兴趣。


而这时适逢前往京都赴任的战晓梅先生正好在做有关中国书画收藏家廉泉的研究,《东亚艺术》中也记载了廉泉的交流活动。于是战先生百忙之中拨冗为本次复刻出版撰写解说,介绍了这本“反映时代、逆时代潮流而动的独特杂志”的价值。


机会难得,在此介绍一下战先生撰写的《东亚艺术》解说纲要。


“反映时代、逆时代潮流而动的独特杂志”

·对书画造诣深厚的撰稿者,从美术论扩展到文明论
·对东京大正博览会书法部门的审查不公进行笔诛
·从近代中日美术交流的视点出发——关于廉泉和小万柳堂书画收藏的信息

详细内容请看解说。明治时代刚结束不久,在艺术上对西方的追随仍十分显著。本杂志旨在对此现状进行回顾和重新思考,这在文化史上具有重要意义。


此外,《东亚艺术》创刊号的卷首还登载了《白桦》创刊的五周年纪念号的广告。

在新艺术和新感性蓬勃发展之时,审视“东亚”艺术、开展开诚布公的讨论,这种横跨艺术・学术领域的尝试,本身就意味深长。


此外,说到底还是卷末的“个人消息”一栏有意思。不知道杂志是如何搞到那些人的近况消息的,从漱石、鸥外到横山大观、内藤湖南等,每期都会简短地报道数十位名人的状况。



这本杂志是大正文化方兴未艾时的另一种尝试。希望大家一定入手一阅。


【日文原文】

今回の復刻資料は、一風珍しい大正初期の文化資料になります。


国会図書館に所蔵はなく、これまでの研究でも光があたってきたとは言えない雑誌と言えると思えます。(大宅壮一文庫の雑誌創刊号紹介で、わずかに紹介されたことが唯一の事例かもしれないです。)

しかし、各界の一級の人物の名前が並び、第一次世界大戦前後という時代背景の面白さもあり、初めて見かけたときからぜひ研究者の皆様に紐解いていただきたいと感じておりました。

書道史関係の方々に問い合わせてもやはり知られていない模様、ただ、目次や内容から、多くの方に関心をお持ちいただけました。

そして、ちょうど京都に赴任された戦暁梅先生は丁度、『東亜藝術』でも交流が記される、廉泉(れんせん)という中国人の書画コレクターの研究に取り組んでおられました。

お忙しい中解説に取り組んでいただき、「時代を映し、時流に抗う異色の雑誌」としてその価値をご紹介いただきました。

せっかくなので、ここに目次を掲載しておきます。
「時代を映し、時流に抗う異色の雑誌」
・一、書画に造詣の深い執筆陣、美術論から文明論まで展開
・二、東京大正博覧会書部門の審査不公に対する筆誅
・三、近代日中美術交流の視点から―廉泉と小萬柳堂書画コレクションをめぐる情報
・まとめ

詳しくは解説をご覧いただければと思いますが、明治が終わってまもなく、芸術においても西洋追従が顕著である現状を振り返り、再考しようとした本誌は文化史のなかで重要なのだと感じます。

その創刊号には『白樺』五周年記念号の広告が巻頭に。

新しい芸術や感性が大きく育つ中で、「東亜」の芸術を見つめ、忌憚なき議論を展開しようとしていた営みが芸術・学術の分野横断を試みていたことはとても興味深いです。

他に、やはり面白いのは巻末の「個人消息」ですね。どのように近況を仕入れているのかわからないですが、漱石や鴎外はじめ、横山大観や内藤湖南など、毎号数十名の著名人の様子を短く報告しています。

大正期の文化が花開くその頃の、もう一つの試みをぜひお手元でご覧ください。



期刊封面
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期刊部分广告
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延伸阅读:『上海文学』『小天地』
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『上海文学』1943〜1945
一九四三年、上海文学研究会によって創刊された雑誌『上海文学』。「文学による報国の真を身を以て実践する」ことを掲げた本誌は、創刊間も無く掲載した作品から芥川賞候補作を一度輩出するなど、上海に止まらない反響をうんだ。

「上海文学賞」の創設、展覧会開催、ラジオ放送など、翼賛一色ではない多様な活動を伴った戦争末期の「外地」文化の複雑なあり方を幻の雑誌が当時の姿で蘇る。

解題:木田隆文(奈良大学教授)‍‍‍‍
価格:32000円+税
体裁:A5判並製・全5巻約650頁。


『小天地』1900〜1903
伝説の出版社、金尾文淵堂の『小天地』。近代日本出版文化形成期、関西の雄とされた総合文芸誌を、当時の形をとどめて、全号復刻!


発行所:金尾文淵堂

解題: 荒井真理亜(相愛大学教授)

掛野剛史(埼玉学園大学教授)
庄司達也(横浜市立大学教授)
竹本寛秋(鹿児島県立短期大学准教授)
西山康一(岡山大学准教授)


揃定価: 本体96,000円+税

体裁: A5判並製・全巻約5,000頁

推薦: 吉田昌志(昭和女子大学大学院文学研究科教授)

原本: 昭和女子大学・日本近代文学館・個人蔵


覃奕瑶丨翻译
战晓梅丨译校
万山空、病病丨编辑



东亚视角 全球视野
寻找东亚论述的“虫洞”与“黑洞”
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谓无名
推送东亚文史研究的成果与东亚知识人的走读经验,寻找东亚论述的“虫洞”和“黑洞”,提供洞见,保持谦卑,保持开放。
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