昨天东京大学举行毕业式,我发了一个两年前拍的视频,现在看还是很感动,画面不过时、毕业歌《樱花》什么时候听都荡气回肠。不懂日文的朋友说这歌不大像我们印象里的离别歌,但它的长处正在于它的“不悲”、不是单纯的“离别苦”。大致上日语语境中樱花季相逢和分手重叠,也是死亡和新生的交臂。所谓樱花瀑,是向死而生,向死其一、死中求生其二,一向背光、一向蓬勃,朝光度的不同而已。自囿于消逝不可追、或借赴死之势萌生的背水之勇,多情者冷,至情者硬,何故不悲,只因铭心刻骨。过去种种珍藏胸中随取随暖,此去经年,不失、不弃、不朽、不折,这就是樱花、离别和遥遥前程。
▲视频《东京大学毕业式》(2022年版)
字幕内容有二,一是有关东京大学本郷校园夹着的道路“言問通り”,典出《古今和歌集》中《伊势物语》:
名にし負はば
いざ言問はむ
都鳥
わが思ふ人は
ありやなしやと
中译
鸟儿啊,
你既然名为“都(京城)”,
请代我问一问,
留在京都我那爱人过得好不好?
二是毕业歌《樱花》。
《さくら》
僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を
さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ
どんなに苦しい時も 君は笑っているから
挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ
霞みゆく景色の中に あの日の唄が聴こえる
さくら さくら 今、咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って
さらば友よ 旅立ちの刻 変わらないその想いを 今
今なら言えるだろうか 偽りのない言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉
移りゆく街はまるで 僕らを急かすように
さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔で さあ
さくら さくら いざ舞い上がれ 永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で
中译《樱花》
撰文 / 江洁