▶︎ 译校&朗读
| 翻译:牛肉酱
| 校对:小舟
| 朗读:井上
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秋という季節は、風について語りたくなる。〈どっどど どどうど どどうど どどう、/青いくるみも吹きとばせ/すっぱいかりんもふきとばせ〉。このあまりにも印象的な言葉で、宮沢賢治の「風の又三郎」は、秋に吹く風の音を表した▼
每逢秋季,风儿便会时常引人诉说。“呼——哗哗——嗵嗵——/吹走青皮的山核桃/刮落酸涩的绿木瓜。”这几句小诗描绘了秋风呼啸而过的声音,出自宫泽贤治的短篇小说《风之又三郎》,至今仍令我记忆犹新。
荒々しい風が野山を走り、ひとしきり雨を降らせた後には、湯気たつ雲を破って青い空が広がる。賢治の耳には、通り過ぎる風が〈どう〉と鳴るように聞こえたのだろう。それは学校の窓を震わせ、うらの山の萱(かや)や栗の木を揺らしていった、と記している▼
粗犷的风呼啸而来,穿越山野,携来一阵秋雨后,又冲破云霄、吹散水汽,只余一片晴空万里。近百年前,在作家贤治的耳旁,吹过的风也许正是这般“呼呼”作响。他将此记于笔端,那是风刮过学校的门窗,摇曳后山的芒草和栗树的声音。
では、色はどうだろう。秋の風は何色か。この時節の風は「金風」などとも呼ばれてきた。私がひかれるのは「白風」とか「素風」といった表現だ。白とは、何もまとわぬ無色透明を意味する。つまりは「色なき風」である▼
秋の風は、物寂しさも誘う。隣国の古き詩に転じれば、漢の武帝の作とされる「秋風の辞」が広く知られる。〈秋風起こりて 白雲飛び/草木黄落して 雁(かり) 南に帰る〉。蕭条(しょうじょう)たる風が眼前を吹きぬけて、たそがれの訪れをわびしく伝える▼
秋风同样惹人寂寥。目光转至一衣带水的邻邦,中国古代汉武帝所作《秋风辞》一诗历来广受传诵。“秋风起兮白云飞,草木黄落兮雁南归。”萧瑟秋风拂过眼前,默然告知着黄昏已至。
万物を枯らすのも、秋風である。詩はこう結ばれる。〈歓楽極まりて 哀情多し/少壮幾時ぞ 老いを奈何(いかん)せん〉。よろこびが高まるときに、かなしみもまた、増している。若きは足早に過ぎ去り、歩みくる老いを何とするか▼
凋零万物的,也是秋风。诗尾如此写到:“欢乐极兮哀情多,少壮几时兮奈老何!”在欢欣鼓舞、抒情咏怀之际,却又乐极哀来。青春匆匆易逝,老年将至,却也无可奈何。
あすはもう、暦のうえでは立冬である。暑い寒いと季節のめぐりを嘆くばかりでは、つまらない。晩秋に深く、その風を、身にしむように感じたい。
明日便是立冬。若是只顾一味叹惋寒暑更替,未免太过无趣。我想走进这深秋,遍身浸染秋风的气息。
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