和歌で読み解く日本のこころ
春待つこころ
近年しだいに勢いを増す気候変動に驚きながらも、冬という重たい生活圏からぬけ出す春への思いは何かよいことを待つような気分とともにある。和歌史の中ではそのプロセスがかなり細やかにうたわれていて、近づく春の足音のようだ。
式子内親王は後白河院の皇女として若き日は賀茂斎院を勤められたが、この歌を詠まれたころは五十歳前後で体調もよろしくなく、春を待つ気分が深かったことであろう。
春はまず、雪解けの雫の音からはじまる。しだいに野辺の緑が広がり、その上には時々淡雪が降るが、それはたちまちに消え、梅の花が咲き鶯が来鳴く。どことなく遠山に霞がかかり、月もおぼろに見える夜となる。しかしなお、人はまだ本格の春であるとは思わない。
桜である。平安朝以来、京の人にとっては桜が咲いてこそ春なのであった。
大輔は藤原信成の女、後白河院の皇女で式子内親王の姉に当たる殷富門院亮子内親王に出仕し、多くの歌人との交流があった。鴨長明は大輔を評して、根気よく一語一語に工夫をこらし作歌する才ある歌人だといっている。
桜が咲くまでには今も昔も気候の異変が多い。桜好きというより、桜狂いといった方が当たっているかもしれない西行も、吉野の桜が無事に咲く日を迎えるまでは心安らかではなかったようだ。
西行
桜が咲くころに雪に見舞われる経験を現代の私たちもしばしばしているので共感するところも多いだろう。西行はまた、こんな歌も作っている。「花を待つ心こそなほ昔なれ春にはうとくなりにしものを」というもの。花を待つ心は若い日には高揚したものだが、今はようやくそれほどでもなくなったなあ、という歌だ。
本当だろうか。西行の花の歌は出家した若い日から、その切実な憧憬の心がにじむところに特別な味わいがあると思われているが、年とともに淡白になっていった。しかしその後西行の桜への思いは齢を重ねるとともに沈潜しつつ、ついに「願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ」という願望へと結ばれてゆくのである。