纳福
望去饱眼福,吃着享口福,旅行来招福~
フグの漁獲量が多い愛知県の日間賀島では、
ふぐ刺し(てっさ)の盛り付け技術を料理人
たちが競い合う。鶴や亀、菊の花などを模し
た盛り付けは、「芸術」の域といえる。
在河豚捕鱼量较多的爱知县日间贺岛
厨师将河豚刺身的盛盘技术互相竞争
模仿鹤、龟、菊花等
堪称“艺术”的领域
世界唯一河豚街
位于山口县下关市的“南风泊”市场是世界上唯一的“河豚”专门交易市场。
伊藤博文
下関では、ふぐを「ふく」と呼ぶ。ふぐは「不遇、不具」という言葉に通じるため、縁起をかつぎ「福」の字を当てたという言い伝えがある。ふぐは「幸福を呼ぶ魚」として地元では記念日や晴れやかな門出などの席で食す習慣があり、全国的にも広まっている。
在下关,河豚被称为“福”。因为河豚一词与“不遇”“残废”等词同音,所以有一种说法是为了吉利而选中了相近的“福”字音。河豚作为“呼唤幸福的鱼”,在当地有在特殊纪念日等食用河豚的习惯,后来也逐渐在全国范围内也普及开来。
本格的なふぐのコース料理を堪能できる「ふくフルコース」2万2000円。手前の「とらふぐ薄造り菊盛り」(写真は3人前)ほか、前菜、ふぐの唐揚げ、白子の酒蒸し、ふぐ真丈、ふぐちり、雑炊、甘味などからなる。
真正的河豚套餐料理“福全套餐”2万2000日元。除了前面的“虎豚薄造菊盛”(照片是3人份)之外,还有前菜、炸河豚、白子的酒蒸、河豚真丈、河豚片、杂烩粥、甜品等。
伊藤博文が足繁く通った「公許第1号」の店。
定番の「フルコース」でふくを食べ尽くす
春帆楼,是伊藤博文经常光顾的“公许第一号”店。经常会点经典套餐大快朵颐。
河豚 / 生态
なぜ毒を持ちいかに、膨らむのか
知っておきたい「謎多き魚」の構造と習性
为什么有毒,怎么膨胀的呢?
想知道的“谜之鱼”的构造和习性
フグ科の魚は、まだまだ「謎多き」生物だという。中でも最大の謎は「毒」だ。なぜ、どのように、フグは毒を持つようになったのか。「日本産フグ類図鑑」などの著書を持つ魚類学者の松浦啓一さんによれば、「フグ毒は、青酸カリの500倍以上の強さを持つ猛毒」という。
据说,河豚科的鱼是“谜一般”的生物。其中最大的谜团是“毒”。为什么,如何,河豚变得有毒呢。据著有《日本产河豚类图鉴》等著作的鱼类学者松浦启一先生说,“河豚毒是比氰化钾强500倍以上的剧毒”。
では、毒はどこから来たのか。原因は海中に大量棲息する「海洋細菌」です。その中に、テトロドトキシンを作り出す種類がいます。海洋細菌が生産した毒は海底の泥に蓄積し、それを食べた生物の中に徐々に毒が蓄積される……
那么,毒是从哪里来的呢。原因是大量栖息在海里的 "海洋细菌"。其中,有产生四环素的种类。海洋细菌产生的毒会在海底淤泥中累积,食用它们的生物中会逐渐累积毒药……
食之历史
历史
豊臣秀吉は禁止、伊藤博文は解禁
古代から現代まで続く「ブグ毒」とのせめぎ合い
丰臣秀吉禁止,伊藤博文解禁
从古代延续到现代的“河豚毒”
日本人と「ふぐ食」の付き合いは、少なくとも約2万年前にまで遡るとみられている。旧石器時代の出土品の中から、フグ科の骨が確認されているからだ。
日本人和“河豚料理”的交往,至少可以追溯到约2万年前。因为在旧石器时代的出土文物中,发现了河豚科的骨头。
フグが日本史に登場するのは、豊臣秀吉の時代だ。
「豊臣秀吉は朝鮮半島へ侵攻しますが、その時、兵站拠点として肥前名護屋(佐賀県)に陣を張りました。ここに集まった将兵にフグを食べて中毒死する者が相次いだため、秀吉は「河豚食禁止令」を発布し、ふぐ食を禁じました」
河豚在日本史上登场是在丰臣秀吉的时代。
丰臣秀吉进攻朝鲜半岛,当时作为兵站据点在肥前名护屋(佐贺县)扎营。由于聚集在这里的官兵吃河豚中毒死亡的人相继发生,秀吉颁布了“河豚禁止令”,禁止吃河豚。
明治になり、伊藤博文首相(当時)が山口県下のふぐ食を許可したことで、徐々にふぐ食が広まり、フグ毒の研究も進んでいく。全国でふぐ食が解禁され、ふぐ調理の免許制度がはじまったのは、戦後のことだ。
到了明治时期,伊藤博文首相(时任)批准了山口县的河豚食品,河豚食品逐渐普及,河豚毒的研究也在进行中。战后,全国解禁了河豚料理,开始了河豚料理的执照资格制度。
危ういけれど美味い。だからこそ知恵を絞って挑む。日本人のふぐ食の文化は、毒とのせめぎ合いの歴史でもある。
虽然危险,但很美味!
正因为如此,才绞尽脑汁地去不断挑战。日本人的河豚饮食文化,也是与毒素相互斗争的历史。
河豚刺身
河豚刺身艺术造型
飞舞仙鹤河豚刺身
鹤盛
龟盛
下关南泊风市场锅子套餐
源自:サライ 2024年1月号
编辑、翻译:逍遥
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