なぜ安部公房か
生誕100年を記念して安部公房をさまざまな角度から捉えなおしてみるという企画はなるほど文学館にふさわしい、それだけで十分ではないか、と顰蹙を買いそうな表題になってしまったが、少なくとも安部公房に関しては、それだけでは済まないところがあるのだ。どうしても「いまなぜ安部公房か?」という問いを掲げ、それに答えるというかたちを採らなければならない理由があるのである。
それは、20世紀末から21世紀にかけてメディアが大きく変容してしまったから、という理由である。メディアすなわち人間の意識の媒体、いや人類の意識の媒体、言葉を動き回らせる媒体が、あっというまに、それも全世界的に、変わってしまったからという理由だ。安部公房にはこの変容を見越したうえでその全創作活動を展開していたとしか思えないところがある。
三浦雅士「いまなぜ安部公房か?──漱石、賢治、安部公房という視点」(本展公式図録寄稿)から