专访 長谷川白紙 | 重新呈现自己的听觉特性

文摘   2024-11-17 08:00   浙江  

从2018年EP《草木萌动》开始,長谷川白紙以极具实验性的音乐的给不少乐迷带来了惊喜。在具有破坏力,又充斥着生命感的动态的音效思路和独特编排中,長谷川白紙毫无疑问成为这一世代才气独具的创作者。而在即将到来的由 Luuv Label 主办的 情绪波动音乐艺术节中,他也将参演——赶在演出前,UPEE 有幸与長谷川白紙进行一期专访,分享关于出道以来的变化,《魔法学校》的创作,以及更多思考。






UPEE:怎么看待VOCALOID、vtuber 偶像音乐的创作和与传统音乐产业间的关系和区别,以后会更多涉及相关创作吗?

長谷川白紙:我对VOCALOID和VTuber的场景形成方式,尤其是与这些音乐相关的方面,感到非常有兴趣,特别是它们在有时仍会追求类似传统音乐产业——或者说传统“流行歌星”那种不偏离单一性范围的人格(persona)在近年来的VOCALOID场景中,除了关注作为单纯的合成器的声音特性外,还有一些完全不同的尝试,比如从不同的人格出发讲述故事,或者以元态的方式处理曾经存在的强烈偶像化元素。而VTuber的场景则反而更倾向于寻找单一且坚固的人格。这让我们意识到,单纯以“声音本身”为对象的聆听是多么具有规范性,它是通过排除复杂性来成立的,而这种做法缺乏根本性,并且是多么不切实际。

从这个意义上来说,我并不认为这种场景与传统音乐产业之间的区别特别鲜明。我并不局限于这种特定的类型,也希望能够在各种不同的领域中进行创作。如果你问我“今后是否会进一步从事这个类型的创作?”我当然会回答,如果有机会的话,我会继续尝试。同时,我认为在那时更为重要的,并不是将自己在场景/类型上做明确的划分,而是仔细、准确地理解自己所面对的语境与现状。

私は、VOCALOIDやVTuberのシーン形成のされ方、とりわけそれらの音楽に関することについては、従来の音楽産業——もしくは従来の「ポップ・スター」のように、単一性の範囲から逸脱しない人格personaそのものがなおも求められる場合があることに対して、非常に興味深く思っています。近年のVOCALOIDシーンにおいては、単なるシンセサイザーとしての音響的側面に注目したものも、従来とは全く違うペルソナから物語るもの、かつてあった強烈に偶像的なものをメタ的に取り扱うものなど様々な試みがありますが、VTuberのシーンは反対に、単一であり強固であるペルソナを求めているように思います。これは私たちに、「音そのもの」のみを対象とするような聴取が、いかに規範的であり、複雑さを排除することにより成立するものであり、根拠に乏しく、そしていかに実際的でないかを教えているように思います。
そういった意味で言えば、私はこのようなシーンと従来の音楽産業の区別をそれほど色濃くは付けていません。私は特にこのようなジャンルに限る訳ではなく、様々な領域で活動したいと思っています。『今後はこのジャンルの創作にさらに取り組む予定がありますか?』と聞いていただくのであれば、もちろん、機会さえあれば、と答えます。同時にその際に必要なのはシーン/ジャンルとして自らの中で区切りをつけることではなく、私が宛てるものの文脈と現状を仔細に正しく読むことであると思っています。


UPEE:对于此前《妾薄命》里的中文内容,是刻意去做的机械化的朗读语调吗,以后还会做中文相关的音乐作品吗?

長谷川白紙:我的父亲在中国出生和成长,后来移居到日本。父亲在电话里总是用中文说话,这些话语作为一种原始的声音体验一直留在我心中。《妾薄命》是我很早之前创作的作品,现在回想起来,或许其中也有某种反抗的情绪。换句话说,这似乎是一个尝试——将我内心中那种强势的中文语音,恢复到像我平时使用的日语一样,作为一种语言的声音形式。

我自己几乎不能读写除了一些非常有限的中文词汇之外的其他中文。我也完全不认为仅仅凭借“根源”就可以解释一个人所有的事情。

然而,确实可以说,我小时候听到的中文节奏作为一种声音体验,一直在我心中深深留下了印象。因此,当我被节奏所吸引时,我会尝试去使用它。

私の父は中国で生まれ育ち、日本に渡ってきました。父はいつも電話口では中国語で話していたのが、それが私の中に原始的な音体験として残っています。『妾薄命』は随分と前に作ったものですので、今思えばということにすぎませんが、反発的と言える感情の動きもあったかもしれません。つまり、私の中で強権的であった中国語の音声を、普段使っている日本語と同じような言語の音声一形態というところまで取り戻す、という試みでもあったように思います。
私自身は、非常に限定された単語以外の中国語の読み書きはできません。そして、ルーツだけで人の全てが説明可能であるとも全く思っていません。
しかしながら、私の中には幼少期に聞いた中国語のリズムが音体験として非常に強く残り続けていることも確かです。なので、リズムに誘われたときには、私はそれを使おうと試みるでしょう。



UPEE你翻唱过YMO,很多乐迷在收听你的音乐时还联想到了 Spank Happy、Stereolab,以及“怀疑机械人声念诗的灵感是来自坂本龙一的Thousand Knives”,你如此看待?可以分享影响你比较多的音乐人吗?
長谷川白紙:关于《千のナイフ》(Thousand Knives)对我的直接影响,作为一个非常个人的事实,我可以说是没有影响的。因为在那个时候,我只知道《千のナイフ》的钢琴版本。然而,即使不是直接的影响,合成语音朗读诗歌本身,无疑是可以被置于那种语境中的,我也可能无意识地受到了那些影响。
至于影响我的艺术家们,种类繁杂,如果我在这里花很多篇幅详细解释,可能对我的理解并没有实际意义(能够与Spank Happy并列对我来说是非常荣幸的)。我认为,自己很可能受到大约十年前,互联网上各种各样的档案被积极上传的那个时代的强烈影响。如果现在回头看,那些信息显得非常杂乱,仿佛在那个时代,能够访问到那些你从未想到过的信息的可能性,比现在要大得多。
『千のナイフ』からの直接的な影響に関しては、ごく個人的な事実として、ノーと言えるでしょう。なぜならその当時私は『千のナイフ』をピアノ・ヴァージョンでしか知らなかったからです。しかし、直接的な影響ではなくとも、合成音声による詩の朗読自体はそのような文脈に間違いなく位置付けられますし、私もそれらの影響を無意識に受け取っていたでしょう。
影響を受けたアーティストに関しては非常に雑多であり、おそらくここで私が紙面を割いてその全てを解説したとしても私の理解に関して有効ではないように感じます(Spank Happyと並べていただけるのは非常に光栄ですが)。おそらく、インターネットに非常に多種多様なアーカイブが精力的にアップロードされていた10年くらい前の時代からの影響を私は強く受けているのだと思います。今考えればそれらはとても乱雑で、思ってもないような情報へのアクセス可能性が今よりあったようにも思います。



UPEE:在翻唱为主的《夢の骨が襲いかかる!》里,你展现了意料之外的,并不极繁主义色彩的,更为简洁干净的音乐一面。可以分享是为何想到做一张这样“听众预期”之外的作品吗?不少乐迷对这张作品感到惊奇,你如何看待乐迷对你的预期和印象?
長谷川白紙:在那部作品中,重要的是要展示出,虽然从外界看可能是意料之外的事情,但对我来说完全不是意料之外的。这是我仍然相信“骨架与肉体”这一怀疑的音乐创作过程时,最强烈的表现形式。换句话说,我想表达的是,在我看来,弹唱本身是音乐的骨架,而装饰已经被编织进骨架之中了。

然而,正如您所指出的,确实也有一个事实是,我曾经想通过创作意料之外的作品来让听众感到惊讶。我喜欢恶作剧。原因大概也仅此而已。

听众的期待和印象,对于我来说是最优先需要扰乱的信息。我站在许多欲望的交汇点上。而我的大多数创作行为,都是从重新审视自己开始的。

あの作品で重要であったのは、外から見れば予想外であることが、私にとっては全く予想外ではないということを示すということでした。私がまだ「骨格と肉」という疑わしい音楽の制作過程を信じていたときの、最も強い発露の形態です。つまり、私にとって弾き語りは音楽の骨格であり、装飾は既に骨格の中に織り込まれているのだ、と言いたかったのです。

しかしご指摘のとおり、予想外の作品を作ってリスナーを驚かせちゃおうと思っていたことも事実です。私はいたずらがすきなんです。理由はそれに尽きるでしょう。
聴取者の期待と印象は、私にとって最も優先度の高い撹乱すべき情報です。私は多くの欲望の交差点に立っています。そして私の創作行為のほとんどは、自分自身を読み直すことから始まります。
私にとって、誰かの期待に応える方法は、望まれていることを望まれている通りに実行する、というものではないのです。
UPEE:从《エアにに》到《魔法学校》,你觉得在你音乐创作,或者灵感、体验等层面之间最大的变化是什么?

長谷川白紙:毫无疑问,我已经苦涩地承认并能够解释我独特的听觉特征。我可能拥有一种与他人不同的能力,将音乐的各种元素进行区分,并且,我花了很多时间生活在一种脱离常规调音的世界中(某些音域听起来会低半音,另一些音域则显得高,或者两者同时发生)

长时间以来,我对这种听觉特性怀有强烈的厌恶,并一直渴望将其排除。然而,我逐渐意识到,排除它并非解决之道,反而是将我的听觉特性重新呈现出来,才可能成为我自己的音乐作品。从这个角度来看,可能可以说《魔法学校》便是这一转变的结果。这一观点是对我来说最重要的视角之一。

間違いなく、私の持つ聴こえ方の特徴を苦々しい顔で認め、それを説明できるようになったということです。私は音楽の様々な要素を分化して捉える能力がおそらく人と違った方向に働いており、さらに、多くの時間を外れたチューニングの世界で生きています(ある音域が四半音下がって聴こえたり、別の音域は上がって聴こえたり、もしくは両方が同時に起きたり、というものです)。

私は長らく、この聴覚特性に対して非常に強い憎しみを抱いていて、それを排除したいと願い続けてきました。しかし私は排除ではなく、自分の聴覚特性の再表象こそが自らの音楽作品であり得るという観点を得ました。その結果が『魔法学校』と言って、おそらく差し支えありません。この観点は、私にとって最も重要な観点の一つです。




UPEE:你先前的作品展现出一种博采众长的极繁主义特征,而这种特征与90年代-00年代的涩谷系运动存在某种相似性,请问您是如何看待涩谷系运动,看待各个音乐流派之间相互融合这一创作倾向的呢?

長谷川白紙:对于“我受到被概括为‘涩谷系’这一运动的影响”这种说法,我自已觉得有些奇怪。自然,我认为我受到了包含这些元素在内的整个时代氛围的影响,但从结果上来看,我更像从背后慢慢接近 “涩谷系”所代表的那种融合多种风格的创作方法。

对我而言,这几乎是以前唯一的创作语法。而从这里开始,连接这些语法的核心——也就是“最终听到的东西是什么”,这种思考似乎形成了我现在的创作风格。

如果是几年前的我,可能会毫无保留地欣赏那种形式上带有庸俗化的泛滥(即过度堆砌的元素),但是现在,我对这一点有些许的担忧。那就是,作为引用和拼接来源的元素,可能会被剥去原有的味道,变得“去味”和“漂白”。至于这个问题,我还没有形成一整套的深刻思考。

私自身、いわゆる「渋谷系」と括られるようなムーヴメントの影響を受けているかと言われると怪しいところです。もちろん、それらを含んだ総合的な時代の影響を受けていると思いますが、結果的にはむしろ、私は「渋谷系」のような様々なスタイルを取り入れる手法そのものを後から追ったことになるでしょう。

それは、以前の私にとってほとんど唯一の語法でした。そしてそこから、これらの語法を繋ぎ止めているもの——誰かが最終的に聴くものとはなんなのか、という思索が今のスタイルに繋がったように思います。

少し前の私であればそのような形式のキッチュな氾濫に対して無条件に賞賛していたでしょうが、今は少しだけ危惧していることがあります。それは、引用や接合の元となるものが持っていた要素が脱臭され、漂白されるということに関することです。これに関してはまだまとまった一連の思索を得ていません。


UPEE:白纸似乎习惯持续使用单声部和复声部的交替/结合?堆垛的音符~乐句的交叠特别是交错衔接的段落非常有意思。是否是有意识地在控制让单个的乐章不给出清晰的终止?白纸采取的险涩的「转调」「变奏」,包括人声也是如此,是以「不规则」的负负得正的秩序刻意制造「疏离」吗?是在遵从 jazz曲式的秩序吗?

長谷川白紙:这是一个非常有趣的分析,事实上也的确如此。如果要稍作注解的话,我的这种混乱而瞬时的复调结构更受西方现代音乐的影响,而更重要的是,我试图将音响作为整体来感知的听觉特性对我影响更深。

我曾经确实将“终止”(音乐中的结束或终结)视作敌人。
非常に興味深い分析ですし、事実そのとおりでしょう。少し注釈させていただくなら、私のこのような混沌とした瞬発的なポリフォニーは西洋現代音楽の影響の方が強く、そしてそれよりもさらに、音響を総体として捉えようとする私の聴取特性の影響の方が強いでしょう。
私が「終止」を敵のように感じていたことは事実です。



UPEE:可以分享你是如何探索出现在的音乐风格的吗?有考虑创作过更多其他类型的音乐吗?

長谷川白紙:这或许只能说是完全从混沌中诞生的。我认为,拥有确保可靠再现性的DAW(数字音频工作站)软件在很大程度上塑造了我目前的风格。对于现在的许多作品,也许可以指出同样的特点——即对某种音响产生“听腻了”的感觉。

关于“其他类型”的问题,我可能会回答这不是问题的关键,但对我而言,我总是感到自己在不断追求新的题材。目前,我对乐队合奏很感兴趣。

これは全く混沌の中から生まれてきたというほかないかもしれません。DAWという確保された確実な再現性を持つソフトウェアが現在の私のスタイルを生んでいることは言えると思います。そしてこれは現在の多くの作品に関しても同じ特徴を指摘することができるかもしれません——すなわち、ある音響に対して「聞き飽きる」ということです。

『他のジャンル』という質問ではないと答えるかもしれませんが、私自身は常に新しい題材に向かっていると感じます。今は、バンド・アンサンブルに興味があります。

UPEE:可以谈谈对于自己音乐活动形式的看法吗,为什么选择了公开自己的个人照,并且在今年登上了The First Take这样偏主流的频道表演?

長谷川白紙:简单来说,在发布《魔法学校》之前,我认为我的情况以及人们对我的印象(坦率地说)是不适合来要求人们来聆听这一张专辑的。

我想要表明,在聆听中构建的身体,甚至被认为是 “原创”的身体之中不存在某种永恒的一致性而是处于变化之中的。为了表达这一点,我需要呈现一个看似“原创”的身体形象。更进一步地说,我认为如果不这么做,就是不公平的。我认为我的想法是非常具有挑衅性的。

『魔法学校』を出す前の私の状況と、(有り体に言えば)私が抱かれている印象が、アルバムの聴取を要求する上で不適当なものであったと考えた、というのが簡潔な答えになります。
私は、聴取の中で仮構される身体、ひいてはその「オリジナル」になっているとされる身体が、既に首尾一貫的でも、不変的でもないことを示したかったのです。そしてそのためには「オリジナル」に見えるような身体のイメージを提示する必要がありましたし、さらに言えば、それをしないのは公平ではない、と考えました。私の考えは、それほどに挑発的なことだと思います。


UPEE:对于当下的个人造型是有什么特别的理由吗?

長谷川白紙:没有特别的理由。

特にありません。

UPEE:除了《妾薄命》里的中文内容外,我们也好奇有没有哪些你喜欢或者已经关注到的中文音乐人?

長谷川白紙:是Alice Longyu Gao。她非常棒。

Alice Longyu Gaoです。素晴らしいです。


UPEE:对于这次来到中国进行演出有什么期待的吗?

長谷川白紙:每次在全新的地方演奏音乐时,每个地方的反应都不一样,这让我感到非常鼓舞。我希望大家能尽量不去在意这些,尽情享受音乐。

いつも初めての場所で音楽を演奏するとき、全ての場所で反応が違っていて、私はそれに非常に勇気をもらっています。なるべく何も気にせず、すきに楽しんでいただければと思います。



演出信息 

时间:12.7-12.8

(演出时间15:00-21:00左右)

(市集时间14:00-21:00)

地址:万代南梦宫上海文化中心

1F梦想剧场&2F未来剧场

(上海市普陀区宜昌路179号)


演出购票



整理 / 编辑:石田吉藏、闪电馒头、微米河豚、希希

协力:豆豆、小便、冬

部分往期专访:

UPEE
本土野生民营乐评组织
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