160年以上の歴史を持つ総合商社である丸紅株式会社。中国での事業内容、丸紅大連の歴史と大連開発区の発展、歩みについて、1990年代から大連にて駐在を始め、現在は丸紅株式会社副総代表兼大連分公司総経理を務める徳永氏に話を伺った。
やっぱり大連が大好きです
~開発区40周年迎えて想いを馳せる~
90年代の大連に想いを馳せる
2024年9月24日、25日の両日、大連経済技術開発区(以下、開発区)設立40周年ハイクオリティー発展投資促進大会が開催され、私も招待され参加しました。本大会と晩餐会の会場となった大連中天ウィンダムホテルは、正しくは「大連工業団地」の中区商業区であり、自分も1994年から1996年に実際に駐在していたので、非常に活気のあった90年代の大連に思いを馳せました。当時の大連は、1984年2月の沿海都市開放座談会で、沿海開放14都市の1つとなり、同年開発区の開発が始まりました。開発区の立地する地域は、馬橋子と呼ばれ、大連っ子にとっては田舎者の代名詞としても使われた時代もありましたが、今は見ての通りとなりました。1987年にマブチモーター(以下、会社名敬称略)が独資で進出したのを皮切りに、キヤノン、日清製油等が進出し、日本企業の中国進出地として第1の選択地という地位を築いていくことになります。1988年10月に日本政府は第2次投資環境視察団を派遣し、大連にも訪問しに来て、当時の大連市長である魏富海市長から工業団地設置の協力要請があり、ここから大連工業団地構想が始まりました。1989年より、伊藤忠商事、三菱商事、日本興業銀行が共同でプロジェクト委員会を設立し、当時の大連市経済貿易委員会の顧問銀行の東京銀行や、大連への企業誘致で実績のあった丸紅も、それぞれ別々に工業団地の調査を進めて、1990年2月に当時の通商産業省から官民一体且つオールジャパンでの大連工業団地開発を進めるべきという意見が出されました。それを受けた丸紅を含む民間5社でプロジェクト委員会を発足させ、開発区管理委員会と事業の実現化の議論を進め、1991年11月に枠組みを合意しました。当時は申請が必須であったフィージビリティスタディ報告書は1992年5月に中国側から批准されました。
日中国交回復20周年記念プロジェクト
1992年10月4日、当時の田紀雲国務院副総理出席の下、合弁会社「大連工業団地開発管理有限公司」の調印式が、日中国交回復20周年記念プロジェクトとして人民大会堂で盛大に開催されました。日本側は日本で「大連工業団地投資株式会社」を設立し、当時の海外経済協力基金、伊藤忠商事、三菱商事と丸紅、東京銀行、日本興業銀行等の17社が80%相当を出資するオールジャパンでの事業として本格的に組成されました。大連市側は開発区経済技術発展公司が土地を20%相当として現物出資し、その開発面積は216.95ヘクタール、分譲可能な工業用地は184.4ヘクタールという規模で、総投資額は81憶25百万円、資本金16億25百万円でスタートしました。
1993年から本格的に開発が始まり、1994年5月に竣工と販売(日本企業を大連へ投資誘致)を始めました。2007年に合弁期間が満了し、円満に日中国交回復20周年記念プロジェクトの合弁期間15年の歴史に幕を下ろすこととなりました。
大連で関わった他の不動産
丸紅は、大連では1980年に丸紅事務所を開設以来、大連への日系企業誘致と不動産事業を注力事業の一つとしておりました。工業団地に進出する企業及びその駐在員を対象とした周辺事業として、大連進出コンサル・工事請負を行う「大連東紅工業区開発有限公司」と、駐在員が居住する住宅の提供と生活サポートを行う「大連槐城別墅有限公司(アカシラビラ)」を大連工業団地に先んじて設立しました。これにより丸紅は、企業誘致→団地販売→工事請負→住宅提供という大連に於けるワンストップのサービスを提供出来る体制を構築することができました。また、開発区の投資環境の1つとしての外国人向け住環境の整備を急いでいた地元政府の狙いにも叶うものでもありました。東紅は1991年12月に設立し、大連地区へ進出する企業に対する工場建設工事請負及び各種コンサル業務を拡大し、設立から2000年に清算を完了するまでに、TDK・宝酒造・コニカ・セコム・日紅・紀伊産業・第一鍛造の成功事績がありました。日系企業の中でも中国でのコンサル業務は草分け的存在でした。
私は入社3年目の1991年に中国の不動産担当となり、主として大連でのプロジェクト検討を行い、1991年11月に初めて中国に到着した地は、大連でした。1994年に初めて駐在した地も大連です。この度の開発区40周年記念の立派な花火ショーは、景気があまり良くないこのタイミングとの声も聞こえましたが、40年を経て馬橋子が立派になったことを個人的には実感出来ました。次の50周年は、市民の皆さんも諸手を挙げて大歓迎する中で迎えられることを願っており、そのためにも丸紅大連のビジネスを活性化すべく、個人的な想いもより一層込めて、頭も足も使っていきたいです。
1858年から創業の丸紅グループ
丸紅は160年以上の歴史を持つ総合商社で、現在、世界67ヵ国と地域に130拠点を有しています。丸紅グループは、ライフスタイル、情報ソリューション、食料、アグリ事業、フォレストプロダクツ、化学品、金属、エネルギー、電力、インフラプロジェクト、航空・船舶、金融・リース・不動産、建機・産機・モビリティ、次世代事業開発、次世代コーポレートディベロップメント、輸出入及び国内取引の他、各種サービス業務、内外事業投資や資源開発等の事業活動を多角的に展開しています。
丸紅は1979年から中国に進出以来、①質の高いトレード及び内販の拡大、社会課題への取組、貿易規模の拡大と新ビジネスモデルの創造、②新エネルギー、新素材、EV、バイオ発電、太陽光発電、航空宇宙、医療・ヘルスケアなど社会課題への対応、そして③中国企業との第3国市場での協力を含む中国発の新興ビジネスの創出の三点を柱として、中国の持続可能な発展とイノベーション駆動型成長に貢献したいと考えています。これらの取り組みを通じて、中国と互恵的なウィンウィンの関係を築いていきたいと考えています。
私自身1990年代から中国不動産開発に深く尽力してきましたので、自他共に認める第一人者と誇りを持っています。特に、初期段階から携わった上海・長春での住宅開発事業での成功は、業界で知らない人はいないと思います。中国駐在は大連、上海、北京の三都市です。左は今年初めて旅順に行った写真です。
プロフィール
とくなが たかし
1966年8月生まれ。東京大学土木工学科卒業後、1989年丸紅入社。1994~1996年大連、2004~2009年上海、2013~2014年ロサンゼルスの駐在を経て、2024年から現職と同時に、丸紅北京と丸紅大連の総経理も兼任。1991年から中国での不動産開発に関わるパイオニアで、大連を皮切りに、上海、長春のプロジェクト立ち上げに参画。
徳永さんをさらに知る
1996年は、2期までの全体工事が完成した頃です。昨年久し振りにアカシアビラを訪問し、写真真ん中のクラブハウスが日本人学校に姿を変えており、驚きました。
1996年の大連工業団地南区
大連工業団地は、北区・中区・南区と別れており、写真は南区を南から写したもので、空き地がまだありました。今は立派なビル群が建っており、時代の趨勢を感じます。
丸紅北京の新年会
昨年久し振りにリアルの新年会を開催出来ました。写真は丸紅北京の2024年新年会です。日本語が上手な従業員が多いですが、やはり開会スピーチは中国語です。
開発区設立40周年ハイクオリティー発展投資促進大会に招待されたように、丸紅中国を代表して、中国政府主催の様々な催事に出席しています。写真は今年瀋陽市政府のイベントに招待された際のものです。
丸紅(北京)有限公司大連分公司
大連市西崗区中山路147号申貿大厦1201D
℡(0411)8369-2896