長い髪をかきあげて
梳拢起长长的头发
ひげをはやした
仍蓄着胡须
やさしい君は
温柔如你
ひとりぼっちで ひとごみを
孑然一身 消失在了
歩いていたネ
人群
さよなら ぼくの ともだち
再见了 我的 朋友
夏休みのキャンパス通り
在暑期里校园的小路上
コーヒーショップのウィンドウの向う
咖啡屋那副窗棂的对面
君はやさしい まなざしで
你温柔地望着我
ぼくを呼んでいたネ
呼唤我的名字
さよなら ぼくの ともだち
再见了 我的 朋友
息がつまる夏の部屋で
夏日的房间里闷得透不过气
窓もドアも閉めきって
门和窗也牢牢杵着
君は汗をかいて
你的身上淌了汗
ねむっていたネ
沉沉睡着
さよなら ぼくの ともだち
再见了 我的 朋友
行ったこともないメキシコの話を
如果药性的作用发挥出来了
君はクスリが回ってくると
你就会念叨那还没去过的墨西哥城
いつもぼくに
再三再四
くり返し話してくれたネ
反反复复
さよなら ぼくの ともだち
再见了 我的 朋友
仲間がパクられた日曜の朝
你的伙伴被逮捕的那个礼拜天清晨
雨の中をゆがんで走る
雨中你奔跑的身影摇摇晃晃
やさしい君は それから
温柔的你 自那时起
変ってしまったネ
也改变了吧
さよなら ぼくの ともだち
再见了 我的朋友
ひげをはやした無口な君が
留着胡须 沉默寡言的你
帰ってこなくなった部屋に
再也不会回到这间屋子里了
君のハブラシとコートが
你的牙刷和外套
残っているヨ
我还留着
さよなら ぼくの ともだち
再见了 我的 朋友
弱虫でやさしい静かな君を
有点胆小 温柔又安静的你
ぼくはとっても好きだった
我是那么的记挂
君はぼくのいいともだちだった
你是我那么的诚挚的朋友
さよなら ぼくの ともだち
再见了 我的 朋友
さよなら ぼくの ともだち
永别了 我的 朋友
たとえば ぼくが死んだら
假如有一天 我悄然逝去
そっと忘れてほしい
愿你就此静静地将我忘记
淋しい時は ぼくの好きな
实在寂寞难耐的时候
菜(な)の花畑(はなばたけ)で泣いてくれ
就去我生前喜欢的油菜花田里哭泣吧
たとえば 眠れぬ夜は
假如在难以入眠的夜里
暗い海辺の窓から
在无光的海边打开窗户
ぼくの名前を 風にのせて
愿你轻轻呼唤我的名字
そっと呼んでくれ
让它乘着风点点远去吧
たとえば 雨にうたれて
假如有一天雨点敲打着
杏子の花が散っている
杏树的花瓣散落了一地
故郷をすてた ぼくが上着の
我会竖起衣领
衿を立てて歩いている
背对故乡 一步步离去
たとえば マッチをすっては
假如说擦亮火柴的时候
悲しみをもやす
能够连同悲伤一起燃尽
このぼくの涙もろい
那么当我拭去眼泪之时
想いは 何だろう
这份思绪 又是为何呢
たとえば ぼくが死んだら
假如有一天 我悄然逝去
そっと忘れてほしい
愿你就此静静地将我忘记
淋しい時は ぼくの好きな
实在寂寞难耐的时候 就去我喜欢的
菜の花畑で泣いてくれ
油菜花田里哭泣吧
让森田童子广为人知的,应该是这部93年的日剧《高校教师》,森田童子创作了该剧主题曲《我们的失败》。这也是我自己反复播放百听不厌的一首歌。她的声音使人有种痛彻心扉的无力感。
春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
柔和的春日陽光裡 偎依在你
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ
溫柔懷抱中的我 是一个膽小鬼
君と話し疲れて いつか 黙りこんだ
與你聊天,說得累了 不知不覺地沉默下來
ストーブ代わりの電熱器 赤く燃えていた
只有代替舊日火爐的電熱器 通紅地燃燒著
地下のジャズ喫茶 変れないぼくたちがいた
地下的爵士咖啡館里 有長不大的我們
悪い夢のように 時がなぜてゆく
彷彿惡夢一般,時間一下就過去了
ぼくがひとりになった 部屋にきみの好きな
只剩一個人的房間裡
チャーリーパーカー 見つけたヨ
找到你喜歡的 Charlie Parker
ぼくを忘れたカナ
可能被遺忘的是我吧
だめになったぼくを見て
看到沒用的我
君もびっくりしただろう
你很吃驚吧
あのこはまだ元気かい 昔の話だネ
那孩子還很精神 都是過去的事了
春のこもれ陽の中で 君のやさしさに
柔和的春日陽光里 偎依在你
うもれていたぼくは 弱虫だったんだヨネ
溫柔懷抱中的我 是一個膽小鬼
作为她的一名粉丝,我当然要收集这张黑胶和CD。
森田童子,生于1953年1月15日,死于2018年4月24日。她的歌曲里,大部分词都有‘告别’二字,而她,如流星般闪耀,匆匆地掠过这个世界。
往期回顾
各位朋友好,我是作者Stephen Ho,生于1982,是一名IT工程师。我在2023年3月创建该号,早上工作,晚上写作,我很高兴自己能把这费心费力为每日文章选题及创作抓破脑袋的事情坚持了下来。这世界有太多有趣的人和事,正如80博物馆的寄望,愿各位朋友能遇上一切的美好。