沈
阳
故
宫
*所有图片均来自沈阳故宫博物院官网
The Shenyang Palace Museum
世界的に有名な中国北京の故宮。実は中国の東北地方に、もう一つの故宮があることをご存知ですか? 瀋陽、別名「盛京」。瀋陽にも故宮があるため「一王朝の発祥地、二代帝王の都」といわれています。
北京の故宮は中国古代の明朝と清朝の皇帝の宮殿でしたが、史書の記述によれば、清朝の勢力は山海関を超えて南下する以前に(北京に入る前に)、まず瀋陽で皇帝の宮殿を建てました。これが「一王朝の発祥地」という美称の由来です。
瀋陽故宮は1625年に建てられ、清朝の太祖・ヌルハチと太宗・皇太極がここに住んでいました。瀋陽故宮は盛京皇宮とも称され、保存状態も非常に良く、清朝初期の宮殿建築群です。豪華で雄大なこの宮殿は東北地域の大地に輝かしく聳え立っています。歴史的にも芸術的にもその価値は北京故宮と並び、東北地方の紫禁城ともいわれます。
瀋陽故宮の敷地面積は約6万㎡で、100以上の古代建築物が立ち並んでいます。瀋陽故宮はかつて数回の大規模な修繕と増築を経て、東軸、中軸、西軸の三列に分かれ、それぞれ雰囲気の異なる建築構造を形成しました。
大正殿
東軸の主な建物・大政殿と十王亭は清朝の太祖・ヌルハチの時代に建てられたものです。大政殿は八角形の二重屋根の建築様式で、正門の二本の柱に龍の彫刻があり、荘厳な雰囲気を醸し出しています。史書の記述によれば、大政殿は主に皇帝の即位や詔書の発布、軍の出征、勝利の帰還式などのような盛大な式典を行う場所として使われました。一方の十王亭は親王たちおよび八旗の大臣たちが政務を行う場所です。また皇帝と大臣が合同庁舎でともに仕事をする光景は非常に珍しく、歴史上あまり存在しません。
鳳凰樓
中軸の建築群は清朝の太宗・皇太極の時代に増築されたもので、大清門、崇政殿、鳳凰楼および清寧宮、関睢宮、衍慶宮、啓福宮などで形成されています。
崇政殿
崇政殿は中軸の前庭の中央に位置し、一般的に「金鑾殿」とも呼ばれます。清朝の太宗が常時、重要な政務を行う場所でした。史書の記述によると、崇政殿は瀋陽故宮の中で特に重要な建物です。宮殿はすべて木造で、前後ともに廊下が続き、彫刻のある石の欄干に囲まれています。廊下の柱は四角形になっており、屋根は黄色の瑠璃瓦に覆われ、瓦の端は緑色に染められています。宮殿の柱は円形で、二本の柱の間は彫刻の龍によって繋がっています。龍の頭は屋根の外まで伸び、尾は宮殿の中へと続き、実用性と華美的な威厳が巧みに重ねられ、限りなく美しい様相を呈しています。
紀元1636年、清朝は国名を「後金」から「大清」に改め、その際にこの崇政殿で式典が行われました。大清帝国が北京に入る前の定礎式というものです。
西軸は乾隆帝時代に増築された文溯閣や嘉蔭堂、仰熙斎などの建築群を展開しています。
順治帝の時代に清朝は都を北京に移し、瀋陽故宮は副首都または旧首都の宮殿として遺され、皇帝はいつも「東巡視」のついでに瀋陽に帰郷していました。瀋陽故宮は故宮博物館(原名「東三省博物館」)を設立し、貴重な収蔵品の数々を有することで国内外に名を馳せています。瀋陽故宮の絵画陳列室には清朝の李鱒、金農、明朝の文征明の書画など明清両王朝の巨匠の作品が多数収蔵されているほか、陶器や彫刻、漆器などの工芸品も多くあります。
遠く離れた北京故宮と互いに呼応している瀋陽故宮、その敷地面積は北京故宮より小さいながらも造りはとても精巧で、建築上は北京故宮とまったく異なる風格と構造になっており、満州族の特色を濃厚に表しています。
北京故宮の瑠璃瓦は黄色ですが、瀋陽故宮の瑠璃瓦は黄色の端が緑色に染められています。北京故宮の看板は漢字が左に満州文字が右に書かれていますが、瀋陽故宮の看板は満州文字が左に漢字が右に書かれています。また世界で名高い《四庫全書》も瀋陽故宮に大切に保管されています。2004年、瀋陽故宮は世界文化遺産に登録されました。
東北地方の紫禁城はいかがでしたか? ぜひ見学へお越しください。